私の修業時代「迷った時は面倒な方を選べ!」
ピアノ調律師は一生勉強と言われます。そう言う広い意味では、まだまだ私も修行中なのかもしれません。つい数ヶ月前も、ドイツ製グランドピアノの修理、調整の講習会に参加して来ましたが、そこでも新たなヒントをつかむことができ、いくつになっても勉強だな、と改めて思いました。
そしてそこでつかんだ技術を、すぐにお客様のピアノにフィードバックして、顧客満足度を得る。この繰り返しで、段々と技術の引き出しは増えて、どんなピアノでも、また多様な顧客の要望にも応えられるようになるんだ、と思います。
とは言え、私にもお給料の戴けない2年間の『見習い生時代』がありました。はじめの数ヶ月間は一日一台のピアノクリーニングを、朝の9時から夕方の6時まで、一日中行いました。調律師を目指しているのに何故? とふてくされるときもあったと思います。しかし、この教えがあったからこそ、今の私があります。私は、ピアノ調律の前に掃除機をかけ、調律が終わると外装をワックスで綺麗に磨き上げますが、そういうことをしない調律師は、実はたくさんいるのです。
クリーニングの要領が良くなり、仕事が早く終わるようになると、簡単な調整を先輩から教えてもらえるようになります。はじめは鍵盤部とアクション部のすきまをゼロにする、『ロス詰め調整』を教えて頂きました。今では鼻歌交じりでも完璧に調整出来ますが、当時はよく先輩に見直されたものです。その後、いろんなピアノの調整や修理を教えて頂きながら、並行して塗装、傷修理、運搬の仕方などを身につけていきます。調律学校の学生とは違い、絶対に失敗は許されない仕事という強い緊張をしいられる実戦環境を通して培ってきたので、『活きた技術』として身につけることができたと思っています。
私が見習い生の門を叩いたのは、都内のピアノ工房ですが、こちらの社長、いや親方がすごい人でした。いろいろな名言を覚えておりますが、その中で、今でも私が実践していることを一つご紹介します。
「迷った時は面倒な方を選べ!」――利益追求を求める現代社会では認められないでしょうが、職人技を持った人はきっと同じような考えで作業にあたっていると思います。また、この言葉を象徴する事を一つご紹介します。私が『見習い期間』を終える最後のころ、かなりボロのピアノを与えられ、好きなようにしろ!と渡されました。一台まるごと与えられ、私が調整したピアノが売り物のピアノになるのは初めてだったので、とても嬉しかったのですが、これがくせもののピアノで、当時の私の技術では、おいそれと治るピアノではありませんでした。通常は3日間程で一台のピアノを仕上げるのが工房の決まりでした。しかし、一週間経ち、二週間経ち、ついにはとうとう一ヶ月が経とうという頃、親方が初めて声をかけてきました。
「小林君が一生懸命調整してくれてるから、ピアノが喜んでるよ!」とこれには涙が溢れました。
私も今の若い調律師に言います。一生懸命調整したピアノには、俺たち調律師の魂が入る!それを感じてピアニストがまた魂を入れて弾く!だからこそ人の心を感動させてくれるんだと。それがたとえ小さなピアニストでも、調律師の魂のこもったピアノで練習すれば、自然と何か身につくのではないか、と常に考えて作業にあたっています。