私のプロフィール 小林泰浩
- ■ 昭和40年2月
- 埼玉県川口市の音楽教室を営む小林家の三男として生まれる
- ■ 平成14年7月
- 社団法人日本ピアノ調律師協会会員(現一般社団法人日本ピアノ調律師協会会員)
国際ピアノ製造技師調律師協会会員 - ■ 平成24年3月
- Y.K PIANO FACTORY 設立
- ■ 平成24年4月
- 二級ピアノ調律技能士
- ■ 平成25年3月
- 一級ピアノ調律技能士
- ■ 平成25年9月
- PTG (Piano Technicians Guild) アメリカ技術者協会アソシエイトメンバー
- ■ 令和2年4月
- ベヒシュタイン 技術者の会、会員
受講した主な研修会およびセミナー
- インハーモニスティを考えた調律の実技研修会 講師 辻 文明氏
- グランドピアノアクション研修会 講師 一般社団法人日本ピアノ調律師協会
- レイバーン サイバーチューナー研修会 講師 ディーン・レイバーン氏
- アベル・ヤーン社ジョイントセミナー 講師 ノーベルト・アベル氏
- フランツリストとピアノ 講師 ピアニスト 三舩優子氏
- ベーゼンドルファー研修会 講師 ウィーンベーゼンドルファーピアノ製造最高責任者フェルディナンド・ブロイ氏
- レンナーハンマー研修会 講師 マティアス・シュトクリ氏(レンナー社)
- ニューヨークスタインウェイ 知識アラカルト研修会 講師 大友豊輝氏
- ニューヨークスタインウェイ 整音研修会 講師 辻 文明氏
- ベヒシュタイン整音研修会 講師 ユーロピアノ
- ハンブルグスタインウェイ 整調、整音研修会 講師 スタインウェイ&サンズ コンサートピアノテクニシャン ジョルジュ・アマン氏
- ハンブルグスタインウェイ 整調、整音実技研修会 講師 元スタインウェイドュッセルドルフコンサートチューナー 美島 真二氏
小学生のころの夢が「大工とピアニスト」になることでした。いまから思えば、調律師という仕事は、この2つの中間のような仕事ですから、「夢は叶った」ということなのでしょうか。
わたしは幼稚園の年長時には、すでに「エリーゼのために」を独学で弾きこなし、周囲を驚かすなど、音楽的資質には恵まれていたと思います。
この才能があだとなり、一時期ピアノからギターの世界にトリップしてしまうのですが…。
特に、『耳』―音感には絶対の自信を持っていました。実家の楽器店に出入りしていた調律師の調律にたいしても、「この音が違う!」などとクレームを付けるほどでした。
その後、縁あって都内の修理販売店に就職するようになる訳ですが(そのことは修行時代をご覧下さい)、音感に自信があるなどと言う私のうぬぼれは見るも無残に砕かれ、ピアノ調律の難しさに何度挫折しそうになったか知れません。
この都内の修理販売店で4年間修行した後、1年ほど自分探しの旅に出ます。そしてこの時期の出会いを通して、「自分には調律師が天職だ」と強く思えるようになったのです。
埼玉県に戻ると、千葉県松戸市の修理工房に就職します。ここでは数年間、実家の小林楽器とかけもちで、数社の下請けの仕事をこなしました。この下請け時代に経験した色々な想いこそが、Y.K PIANO FACTORYを立ち上げる原動力となっています。
多くの調律師は楽器店の社員か嘱託員のいずれかです。利益追求という会社としては当たり前のことかもしれませんが、これこそがピアノから本来の響きを奪い去るのです。ピアノからよい音を引き出す調整には時間がかかります。時間=経費です。利益を求める会社は、当然経費を圧縮しようとします。
一般の方には理解されない『究極の音の探求』(これは調律師の魂の発露です)などということは許されるわけもなく、ほとんどの時間(経費)は、商品価値を高めるために、外見を磨きあげることに費やされます。
さらに、彼らはピアノ販売のノルマも背負わされています。修理可能なピアノでも、買い替えを勧めてしまうこともあるのです。このようなことで調律師本来の仕事ができるわけがありません。すべての調律師がそうであるとは言いません。ですが、このような調律環境に縛られている限り、調律師がなすべき本来の仕事はできないのです。
私は、Y.K PIANO FACTORYを設立しました。それはお客さま一人ひとりに寄り添った注文販売というカタチを構築していきたいからです。そして、本当の意味で「ピアノ調律師としての生き方」を貫徹したいのです。